45歳 男 相続した貸家の持分を放棄し、スッキリしました
十数年前に父が亡くなり、駐車場として貸している土地と貸家を相続しました。
二人兄弟で、母が既に他界していたので、2分の1ずつ相続することになりました。
駐車場は家賃を2等分すればいいので、何も問題はないのですが、貸家はもう築50年以上にもなり、家賃も4万円しか入ってこないので、私は姉に、もう解体して更地にして売却しよう、と提案しましたが、姉はこのまま持っておきたいと言うので、しぶしぶ了承してしまいました。
当時法律知識もほとんどなく、遺産分割のこともよくわからなかったので2分の1の共有名義で登記を済ませました。
貸家は私の自宅からすぐのところにあり、姉は結婚して他県に住んでいます。
やはりしばらくして貸家のあちこちにガタが出てきました。
冬に寒さで庭の水道管が破裂して水が噴き出している、と近所の人から連絡があり、すぐに水道屋さんに来てもらい、修理をしてもらいました。
また2年前は台風で屋根のトタンがめくれて怖い、とまた近所の人から連絡があり、修理してもらいました。
姉は遠くに住んでおり、いつも私のところへ来るので、正直ウンザリしていました。
そして住人が引っ越しするということで出ていかれ、一度リフォーム業者に点検してもらい、新しく貸すには最低限のリフォームが必要だと言われ、100万円かけてやりました。
知り合いの不動産会社に仲介してもらい、幸いすぐに新しい住人が決まったのはよかったのですが、毎月家賃の振り込みが遅れ、さらに家にネズミがいる、とか、窓がきちんと閉まらないために虫が入って眠れない、などの苦情を受けイライラしてしまいました。
そこで、思い切って共有名義の私の持分を放棄することにしました。
数年前から少し法律の勉強をして、こんな方法があるんだ、ということを知って知り合いの司法書士に相談し登記をしてもらいました。
しかし、父が亡くなったときにしっかり遺産分割していればよかった、と後悔しています。
最低限の法律は知っておいた方がいいな、と思いながらも、厄介な貸家を手放すことができてスッキリしました。
32歳女性 大学時代の友人を「手放す」 人間関係を整理してスッキリ
30代前半の女性です。
都内の女子大学に進学し、2010年に卒業しました。
私が手放したのは、大学時代の友人です。
卒業後にLINEでグループを作って連絡を取り合っていた友達が5人いたのですが、私はそのうちの1人がどうしても好きになれませんでした。
その対象の女の子(K)は女子大学の附属中学に入り、エスカレーターで大学に進学した子で、大学の講義や授業にあまり真面目に出席するタイプではありませんでした。
私は度々友達の代返をしましたが、私が代返をお願いすることはありませんでした。
また一番悪印象だったのは、Kがずっと浮気をしていることでした。
東大在学中の彼氏がいるとのことでしたが、彼氏の友人とずっと肉体関係があると半ば自慢するようにいっていました。
はじめはネタだと思って聞いていましたが、その話を何度か聞くうちに、不快になりKが不潔に思えてきたのです。
また友達数名で雑魚寝している時に、Kの彼氏が隣に寝てるそばで浮気相手とイチャついた話も聞きました。
そういう話を悪気なく自慢するかのように伝えるKが疎ましかったです。
卒業後はLINEで連絡を取り合っていたのですが、Kは卒業後に東大の彼氏と別れて、しばらくは彼氏がいないとのことでした。
私が「手放し」たきっかけはKからの何気ないメッセージでした。
私は3歳になる子供がおり、LINEで報告しました。
そのとき、Kは私生活が多忙のためか、ろくに祝いの言葉も連絡してきませんでした。
その後同グループで他の友達が出産した際は、その友達がKのお気に入りだったので「私、○○(友達の名前)の赤ちゃん見にいきた~~い」とノリノリのメッセージが。
私の出産時とは大きく様子が違うので、正直ショックで落ち込みました。
別にKに好かれたい、よく思われたいとは思いませんでしたが、私の話はどうでもよさそうな、Kの心情が透けてみえるようでした。
そのメッセージから数分後にLINEのグループから退会しました。
最初はK以外の友人たちとつながりがなくなる事に不安があり、寂しくもありましたが、退会後はスッキリし、自分の決断が正しかったのだと感じています。
人間関係の悩みは尽きないものですが、一緒にいても辛いだけ、嫌な思いをするだけの関係性なら、いっそ「手放す」ことも整理するうえでアリなのかな、と考えます。
41歳男、思い出の友人とレクサス!
私は41歳男性で、工場勤務をしています。 私は昔から車が好きで、これまでに何度も車を乗り換えて来ました。 若い頃はスポーツカーが流行っていたと言うこともあり、私もまたスポーツカーに乗っていました。 勿論、かなりカスタムしており、そしてまたかなりのお金を費やしました。 そして、次にワンボックスカーやミニバンが流行りだしたので、これまた私もその流行りに乗りワンボックスカーに乗り換えたのです。 それがエルグランドでした。 正直、ちょっと高かったのですが、これまた改造などをしかなりのお金を使いました。 私にとっては車が趣味のようなものでしたので、楽しかったのも事実です。 そして、それからまたいくつかの車に乗り換えたのですが、最後に友人から安く譲り受けたレクサスがあったのですが、これに思い出があったのです。 私はそのレクサスを友人が手放すと聞いた時に、まだ全然乗れるのにと思い私が買い取ったのです。 友人もそれならと言い、安くで売ってくれたのです。 そんな中、私はそのレクサスを乗っていた時一本の電話があったのです。 何とその友人が突然亡くなったのです。 私は慌てて病院へと行ったのですが、もう友人は目をつぶり息を引き取っていました。 私はその晩涙が止まらず、一晩中泣いていました。 そして、葬儀も終わり私は心の中で友人との別れを告げました。 また、私はその友人から売って貰ったレクサスに乗るのが辛かったのです。 まるでまた友人と会っているような気持ちになるからです。 そして、私はもうこのレクサスには乗れないと思い手放すことにしたのです。 あまりにも友人との思い出や思い出すので辛くて仕方なかったのです。 そして、いざ車を手放すことになった日には本当に友人との別れだと思い手放しました。 まるで今度は本当に友人とのお別れだとも思いました。 手放して初めて気持ちに整理もついたような気にもなりました。 勿論、車を手放しても友人との思い出は消えないとは思っています。