30代女性が大好きなアレを手放したら?
こんにちは、30歳代の会社員、主婦業もこなすMと申します。
私の育った家は田舎で、広い家。
とにかく一度しまいこんでしまえば何十年も放置できるので、「モノは捨てないもの」という固定観念がありました。
つまり「手放せない」家庭であり家族だったのです。
私もそこで長年育ちましたが、1人暮らしをするようになって「モノが捨てられないこと」を悩むようになりました。
だって、モノがごちゃごちゃして、思考が混乱してくるのです。
それに、新しいものが入ってくる余地もない。
ということで、私が断腸の思いで手放したものをご紹介します。
最近手放してすっきりしたもの。
それは「漫画」です!子供の頃から大好きで、家には何千冊も。
引越しのたびに、部屋にうず高く積まれ続けた本は、変色しているものもあれば、ご飯の汚れが付いているものもありました。
それでも大好きだからとずーっと手放さずに持ち続けていたのです。
ただ、何度も引越しを重ねていく中で、色々と違う思いが出てきたのです。
例えば「本当に大好きなら、綺麗な状態で保存したいなあ」というもの。
「持ち運べたらもっとラクだし、大好きな漫画がどこでも読めるなあ」というもの。
そこで私は生まれてはじめて「電子書籍」を知りました。
同じく漫画が大好きな友人が、電子書籍にしてパソコンで本やマンガを読むようにしたら、部屋が1つ空いたという話を耳にしていた頃。
これは私も挑戦してみたいなと思い、決意しました。
そう、漫画を全部古本屋に売って、(ほとんど値がつきませんでしたが)本当に読みたいものだけを電子書籍で買い直したのです。
どうなることかと思いましたが、本当に心の底からすっきりしました。
さらに、スマートフォンからいつでも呼び出して読めるので、持ち歩かずに大好きな漫画をどこでも全巻読めるようになったのです!これは感動でもありますし、新しい人生がスタートするような予感すらありました。
だって、それまで部屋を埋め尽くしてた本のところに、パートナーができたのです。
夢のような話ですが、手放したものが大きければ大きいほど、素晴らしいものが入ってくるというのは本当のこと。
ぜひお試しください。
30代子持ち主婦、カビさせていたバスマットを処分した結果は?
30代、未就学児の子ども二人の専業主婦です。
私は今年の冬からバスマットを手放しました。
私がなぜバスマットを手放そうと思ったかと言うと、まず歴代のバスマットをことごとくカビさせてしまっていたからです。
いくら高い物を使っても、我が家の脱衣所の位置がかなり日陰なので毎日日光の当たる場所までバスマットを移動させなくてはいけなかったのが面倒だったのと、梅雨の時期や冬場は日光のあたる場所に移動させてもカビさせてしまったので移動させても無駄なのかと嫌気がさしました。
また、私は洗濯物をある程度ためてからするタイプなので毎日毎日バスマットだけを洗濯するという気持ちにはとてもなれませんでした。
最初は布製のマットをやめて、珪藻土マットにしようかなと悩んだのですが、中国産の珪藻土は健康に被害が出たりしたらと思うと買えず、かといって国産だと値段もはるのでどちらも購入に至らず、しかも我が家の脱衣所は狭いので珪藻土マットをずっと置いておくのも邪魔だと思いました。
そこで、前回買ったバスマットがカビた今年の冬から思い切ってバスマットを捨て、毎日自分たちが体を拭いているタオルで足や体をを拭いてから脱衣所に出るようにしました。
始めた当初はやはり子どもたちもなかなか週間がつかず、脱衣所がびしょ濡れになったりしたのですが案外とそれを拭くのも苦にならず、足を拭いたりしてタオルがびしょ濡れになってもすぐに洗濯もでき乾くのでバスマットが乾かないというストレスもなくなりました。
それに、毎年主人が梅雨の時期になると水虫を発症していたのですが、今年の梅雨は水虫にもならず家族の健康も守れるというおまけ付きでした。
これなら前回のバスマットを買う前にさっさと手放してしまえば良かったと本当に後悔しました。
もし、私のようにバスマットを手放すか悩んでいる人がいたら、買うのはいつでもできるので捨てるタイミングで一度手放してしまうことをおすすめします。
それでやっぱり必要だと思えばまた購入を検討すればいい話なので良かったらやってみて下さい。
68歳男性 形見のフィルムカメラを思い切って手放しました
68歳の年金生活者です。
ライティングの仕事で小遣い稼ぎをしたり、趣味の写真撮影を楽しんだりしつつ、つましく暮らしています。
さて人には中々手放す事が出来ないものがいくつかあるものです。
私の場合は、その一つが父の形見のフィルムカメラです。
父は写真が趣味で当時の高級だったフィルム一眼レフの本体2台の他、多くの交換レンズを持って楽しんでいました。
もう17回忌も済ませましたが、父が残したそのフィルムカメラやレンズを形見としてもらって長く持っていましたが、2年前についに手放しました。
形見として引き継いだ当初は使用していましたが、時代はデジタルカメラの時代となり、私もデジタル一眼レフカメラを購入しました。
それ以来形見のフィルム一眼レフカメラを使う事は無くなってしまいました。
大きなカメラバッグに入れて保管し、半年か1年に1回は風を通して、レンズにカビが生えない様に注意し、大事に保管して来ました。
デジタル一眼レフカメラの交換レンズの本数が増えるに従い、フィルムカメラの保管スペースが邪魔になり、使わないのに保管だけしている事が無駄に感じ始めました。
形見ではあるけれど、思い切ってすべてを中古カメラの買取を行っているカメラ店で買取ってもらい、手放しました。
当時は非常に高価なカメラでしたが、需要が少なく、買取額は大した額ではありませんでした。
それでも新しい交換レンズを購入できる足しにはなる額でした。
父の形見のカメラが、この交換レンズに変わったのだと自分に言い聞かせ、愛用し続けています。
そのまま大事に持っているより、写真が大好きだった父なら、私が形見を手放して、それで頻繁に利用する交換レンズを購入して愛用している事を理解してくれると思っています。
歴史ある老舗企業も、その精神や理念を守りつつ、時代に合わせて新しく生まれ変わり続けているものです。
私の場合も、父が愛した写真撮影・古寺散策での写真撮影を受け継ぎ、その撮影道具を時代に合わせて変化させるため、古いフィルムカメラを手放したのです。
むしろ手放していつも使う交換レンズに姿を替えた事で、撮影時にはより父の事を思い出すようになりました。
ある意味手放してスッキリした様に感じています。