30代女 ずっと気になっていたマグカップを処分してすっきり!
現在30代の主婦です。
今年で結婚して3年が経つのですが、ずーっと家の中にあるもので、処分したいなと思っていたものがありました。
それは主人の友人からいただいたマグカップのセットです。
実用的なものだから使用すればいいのでは?と思われるかもしれませんが、このマグカップがかなり特徴的な品物で、なかなか日常的に使用できないデザインでした。
取っ手がなんと工具の形になっていて、まず持ちにくいという点が一つ。
そして、妙に重みがあって、気軽に使えるマグカップではないという理由もありました。
見た目に特徴的なデザインなので、飾っておけばいいのかなと思いましたが、住んでいる家は狭く、インテリアとして飾るスペースがありませんでした。
主人も使わないから閉まっておけばいいというので、ずっとそのままにしていました。
ただ、二人での生活がスタートしてから、少しずつ食器も増え、食器棚の奥に置いていたお祝いのマグカップが邪魔になってきました。
元から私はどちらかというとミニマリストの気質があり、使っていないものは捨てればいいという考えでした。
ただ、結婚して主人がいただいたお祝いの品物だからという思いがあり、なかなか処分できずにいました。
たぶんそれほど高価なものではないので、捨ててしまっても後悔は全然ないと思うのですが、人からいただいたという事実があり、ずっと放置していました。
でも、いい加減処分してしまいたいという気持ちが募り、結婚して3年経ちようやく主人に処分していいか確認することができました。
処分と言っても、全く使っていないものを捨てるのはもったいないと思ったので、メルカリで出品することにしました。
付けた価格も安かったのか、すぐに買い手が付きました。
ずっと気になっていたものがなくなり、すっきりとした気持ちになりました。
今回は、主人も何も思い入れがないものだったので、すんなり処分することができました。
特に時間を置いたということも良かったのかもしれません。
確認した時には「そんなのあったね」という態度を取られたので、彼自身も忘れていたようです。
夫の持っているもので、捨てたいなと思うものがあれば、忘れた頃に話をするとよいのかもしれません(笑)
52歳 女 「いつか使うもの」を手放してすっきり!
私は52歳の主婦です。
2年前までデザインや店舗スタッフ等の仕事をしていました。
退職後、家にいる時間ができたので、以前から気になっていた物について処分を検討することにしました。
忙しいと「物」のひとつひとつについて真剣に考えることことが面倒。
「とりあえず取っておこう」を連発していった結果、物が溢れてゆくことに・・・。
シンプルな生活を目指したい私にとって、何が必要で何が不要か、とことん考えました。
その結果、「思い出の品(アルバムやCD等)」は捨ててしまうと再生できないので、取っておく。
「いつか使うだろう」という未来に向けて取っておいたものは捨てる。
というボーダーラインを作ることにしました。
その目線で仕訳を行っていくと・・・
・いつかちょっとしたパーティー等があった時に着ようと思っていた服→(実際、この年齢になって、ちょっとしたパーティーなどそうそうない)
・いつかコーディネートの参考にもう一度見ようと思っていたファッション雑誌→(流行がどんどん変わるので、昔の雑誌を参考にすることなどほぼない)
・いつか整理に使おうと思っていたかわいい空き箱→(入れる物のあてもなく取っておいても、サイズが合わず実際には使わない)
・いつかサブバックとして使うかもしれないアパレルショップの紙袋→(服を買った時は気持ちが高揚しているので袋まで取っておきがちだが、常備しておくにしても数枚あれば十分)
など、あるわ、あるわ・・・。
どれだけ未来に向けて溜め込んでいたことか。
「いつか、」って、いつよ?と自分にツッコミを入れたくなるほどです。
うちは賃貸住宅なので、このような不用品にも場所代がかかっていたかと思うともったいなかったなぁ、と後悔しています。
処分した後は、それぞれの保管場所がぐっと広くなり、出し入れもラクラク。
また、戻す際にもストレス無く戻せるので、面倒臭くありません。
防災用品以外は、あまり「未来のいつか」の事を考えすぎず、今を快適に生きることを大切に、物とつきあってゆきたいと思いました。
57歳女 実家の遺品を処分 前を向いて生きるために
私は東京都に住んでいる50代の主婦です。
私の実家は新潟の方で、その一軒家で13年前まで母と弟の2人暮らしでした。
当時母は乳癌を患っており、仕事をしていた弟一人ではなかなか目が行き届かなかったため、母を私の住んでいる東京の方で引き取り、面倒を見ることにしました。
母の病状が徐々の悪化していったためです。
私の家には夫も子供もいましたので、母の気も紛れるかも知れない、という思いもあり弟と相談して決めました。
母は身一つで東京に上京し、体調の良い時は孫たちと楽しく過ごせていたのではないかと思います。
母がなかなか東京に来たがらなかった理由は、父が癌で亡くなってから、父と経営していた会社をたたみ、父の遺品整理をしたり、父の墓の管理をしたり・・・とそこにいなければ出来ないことを父を失った悲しみの中黙々とこなしていたからでした。
会社を経営していたこともあり、大変な量の家財道具やら事務用品やらで知り合いの方にいろいろ譲ってもまだ手に余るものはたくさんあっただろうに、と容易に想像はつきます。
客商売でしたから、粗末なものを着るわけにもいかず、それなりの着物やスーツなどもかなりあったように思います。
食器の数も半端ではありませんでした。
親戚に声をかけて家財道具の一部を差し上げたりもしていたようでした。
父が亡くなった当時、私はまだ乳飲み子を抱えていましたから、どっぷりと後始末のために里帰りするわけにもいかず、気にはなっていたものの頻繁に手助けは出来ませんでした。
母の口癖は「これからは何も買えないのだからこれ以上捨てないでね」でした。
昭和一桁の世代の人らしい考えです。
これから絶対使わないだろう、と思われるものまで段ボール箱い山のように詰め込み、1部屋は完全に荷物部屋と化していました。
私はその部屋のドアを開けるたびに、「いつ、誰が、どうやって片付けるんだろう・・・」・という漠然とした不安に駆られていたことを覚えています。
そしてとうとうその時がやってきました。
東京に母が来て数年後入院先の病院で息を引き取りました。
弟が住む男一人住まいの実家は両親の遺品は手つかずのまま放置、もちろんあの荷物の部屋は手が付けられない状態。
そのままの状態で3年ほど経ってから弟が東京で仕事をすることになり、その時に私は決心しました。
いつまでも親の影を追ってはいけない、新しく前を向かなければ、と。
親の築いた財産は親のものであって、私たちは自分の力でまた築き上げればいいのだと。
そう決心してからは行動に移すのみ、さっそく弟と車で帰京し、自分たちも使うであろう必要最低限のもの、自分たちの幼い時の思い出の写真やその他お金に換えられないもの、そういう視点で車に詰められるだけ詰めて、どうしても運べない大型家具のみ引っ越し屋にお願いしました。
だいぶ遺品は家に残りました。
例えば着物や洋服などです。
食器も全て持っていくわけにはいかず、置いてきました。
置いてきた家財道具は業者に頼んで廃棄処分してもらいました。
お金を掛けず、短い時間での作業のせいでずいぶん思い切った行動に出ることが出来たと思っています。
後悔してること・・・もう少し時間とお金に余裕があれば確かにもっと持ち帰る出来たかもしれません。
ただ、私は思うのです。
果たして何でもかんでも取っておくことを故人は望んでいるのだろうかと。
きっと前を向いて自分たちの人生を生きてほしいと願っていると思うのです。
現在は実家であった土地と家屋を売り他の人が住んでいます。
これでよかったと思っています。